京都へと帰還した慶次は、徳川家康から不遇を受け続ける家康の次男、結城秀康と出会い、その人柄で秀康を強く惹きつける。そんな折、石田光成が慶次を訪ね、朝鮮へと向かうように命じるもこれをつき返される。秀吉が死に、さらに利家も死ぬことで大きく時代が動きだし、家康に目をつけられた上杉藩の兼続は、戦も辞さないという覚悟を家康に伝える「直江状」を送る。
莫逆の友兼続を見捨てれない慶次は、利沙と指きりの約束をして会津へ向かう。関ヶ原の戦いで石田方の西軍が敗れたことで、対峙していた徳川方の最上義光の二万の兵に追われることになった三千の直江軍。劣勢を強いられた兼続は自害を決意したが、慶次によって阻止される。慶次や捨丸、岩兵衛らわずか八騎による決死のいくさ振りにより戦局は転じ、慶次はやがて利沙の待つ京都へと無事戻る。
京都で誓った秀康との約束を果たした慶次は上杉家の和平の使者として家康を大阪城に訪問する。口上を終えると廊下にさがり頭を剃ることで和平の話をまとめ上杉家を救う。その後、上杉家を退転し、元の生活に戻った慶次は度重なる仕官の誘いを、「前田慶次は死に申した」と断り続けるが、雨の中慶次を訪ねた兼続の誘いをうけて終世の地、米沢へと利沙とともに移り、その波乱に満ちた生涯を閉じた。