前田利益慶次郎(まえだ とします けいじろう)は尾張荒子城主だった前田利久の養子にして前田利家の義甥。実父は滝川一益の甥益氏とする説が有力である。義理の叔父の前田利家に仕えたが利家の死を契機に出奔。京都で浪人生活を送りながら様々な文人や武人と交流を重ねる。晩年は直江兼続の知遇を得て上杉家に仕官。関が原の戦いでは西軍に属し活躍するが、西軍敗退をうけ上杉家が米沢に移封されるとそれに伴い米沢近郊の堂森に隠棲し、七十余歳でその生涯を閉じた。
慶次を知る 前田慶次とは
「戦国の世を駆け抜けた天下御免の傾奇者」という今日の前田慶次像は、隆慶一郎による歴史小説『一夢庵風流記』や原哲夫によるマンガ『花の慶次 ―雲のかなたに―』といった数々の傑作に代表される後世の創作によるところも多いが、自由を愛し、危険に身をさらすことを楽しむその強烈な「漢」としての生き方や生き様は、多くの日本人の心をつかみ、新しい日本のヒーロー像を具現化した。
前田慶次に関する諸説は様々流布してはいるが、現在その全ての真偽を判断することはかなわず、それらが持つ歴史的な資料としての価値はけっして高いと言えない。しかしその反面、資料に乏しい謎めいた生涯を送ったとされながらも、今もなお現代に多く残る豪快な逸話の数々は、前田慶次という一人の男が我々日本人にいかに脈々と愛されてきたかを物語る貴重な資料とも言えよう。
前田慶次は
主な作品集
慶次の足跡を辿る 米沢篇

(C)隆慶一郎・原哲夫・麻生未央/NSP 1990, 株式会社コアミックス