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前田慶次の足跡を辿る(小田原編)

目を閉じれば、そこに。
幾千の敵に立ち向かう
いくさ人、慶次の姿。
石垣山一夜城
小田原攻めの陣城として秀吉によって築城。一夜で築城したと見せかけることで、北条氏の戦意を喪失させた。また秀吉は、側室である淀君や千利休などをこの地に呼び、茶会を開いたとも言われる。現在でも毎年10月には一夜城まつりとして野点(のだて)が行われ、風雅を愛でた慶次の姿を重ね合わすことができる。
早雲寺
北条早雲の遺言により1521年に建立され、小田原攻めの際には、一時的に豊臣軍の本営が置かれた。北条家5代の墓に加えて、国の重要文化財である北条早雲肖像画や、県指定文化財の北条氏綱・氏康らの肖像画が納められている。荘厳な雰囲気の中にそびえる5つの石塔には、今なお生きた魂が宿るようである。
小田原城
1417年、大森頼春によって築城。現在も残る城跡は国の史跡に指定され、観光地としても知られている。北条家の本陣として室町時代には南関東における政治的な中心地としても栄えた。また、上杉謙信や武田信玄など有力武将による激しい攻撃にも耐え抜いたことから、難攻不落の城としてその名を轟かせた。
箱根湯元
奈良時代に開湯し、秀吉の小田原攻めをきっかけに広く知られるようになった箱根温泉。箱根湯本はその中心地であり、「箱根七湯」の一つにも数えられている。
『花の慶次』作中の、温泉に浸かりながら秀吉の盃を受ける名シーンはこのどこかでは?そんな想像をしたくなるような、ロマン溢れる温泉街である。