ABOUT 『花の慶次 ―雲のかなたに―』について
群雄が割拠する激動の時代を駆け抜けた
主人公の前田慶次を中心に、
戦国の世を色鮮やかに生きた
様々な人間たちの一大群像絵巻。
初出は『週刊少年ジャンプ』(集英社)
1989年50号の読み切り版。
好評を博し、同誌1990年13号から連載開始。
隆慶一郎の時代小説『一夢庵風流記』を基に、
少年誌に配慮したアレンジや
オリジナルエピソードが加えられ、
1933年33号まで連載された。
優しさと男気にあふれた慶次と
登場人物が織り成す人間ドラマとともに、
時に爽やかに、時に激しく渡り合う
「いくさ人」たちの武勇が
圧倒的な画力をもって描かれた。
魅了し続ける漢
史実における
「前田慶次」
前田利益慶次郎(まえだ とします けいじろう)は、尾張・荒子城主であった前田利久の養子であり、前田利家の義理の甥にあたる。実父については諸説あるが、織田家の重臣・滝川一益の甥である益氏とする説が有力とされている。
義理の叔父である前田利家に仕えていたが、利家の死を契機に出奔。京に上って浪人生活を送りつつ、多くの文人や武人と交流を重ねた。武芸のみならず、教養にも秀でた風流人として知られ、その奔放な生き方は「傾奇者(かぶきもの)」として後世に語り継がれている。
晩年には、上杉家の重臣・直江兼続の知遇を得て上杉家に仕官。関ヶ原の戦いでは西軍に属して奮戦するが、西軍の敗退により上杉家が米沢へと移封されると、それに従って移住。以後は米沢近郊の堂森に隠棲し、七十余歳でその生涯を閉じた。
愛され続ける漢 創作を通して形成された「前田慶次」
「戦国の世を駆け抜けた天下御免の傾奇者」という今日の前田慶次像は、隆慶一郎による歴史小説『一夢庵風流記』や原哲夫によるマンガ『花の慶次 ―雲のかなたに―』といった数々の傑作に代表される後世の創作によるところも多いが、自由を愛し、危険に身をさらすことを楽しむその強烈な「漢」としての生き方や生き様は、多くの日本人の心をつかみ、新しい日本のヒーロー像を具現化した。
前田慶次に関する諸説は様々流布してはいるが、現在その全ての真偽を判断することはかなわず、それらが持つ歴史的な資料としての価値はけっして高いと言えない。しかしその反面、資料に乏しい謎めいた生涯を送ったとされながらも、今もなお現代に多く残る豪快な逸話の数々は、前田慶次という一人の男が我々日本人にいかに脈々と愛されてきたかを物語る貴重な資料とも言えよう。